京都の観光といえば、清水寺、金閣寺など上げればキリがなく、到底1日や2日で周りきれないですよね。
そういう時は自分で今回の旅のテーマを決めてみるのはいかがでしょうか?
今回のテーマは歴史です。
京都の街自体が歴史の宝庫ともいえますが、今回取り上げるのが二条城です。
特に二条城は江戸幕府が政権を朝廷に返上した大政奉還の舞台となったことで有名ですよね。
幕末ファンならずも歴史の教科書には必ず出てくる、誰もが知る日本史における一大イベントです。
1つの観光地を事前に下調べをして、じっくり時間をかけて見学をすると旅行の充実感がより増すと思いませんか?
『二条城は修学旅行で行ったから、もう行きたくない』
『定番すぎてつまらない』
なんて言わずに、少しだけ二条城のことをお勉強してくださいね。
徳川将軍家の京都別邸
二条城は1603年江戸幕府初代将軍の徳川家康が、京都御所の護衛と将軍が京都に訪れた際の宿泊所として築城されました。
要するに徳川将軍家の京都の別邸だったのですね。
日本のお城といえば、天守閣を備えた5層または3層の建造物をイメージする方も多いと思いますが、実際の二条城は広大な敷地にお屋敷と日本庭園があるだけで、初めて二条城を訪れた人の中には『えっ?これがお城?』って思った方も多いかもしれません。
落雷のため1750年に焼失してしまいましたが、確かに江戸時代の頃は5重6階の天守閣があったそうです。
その後天守閣は再建されることはなかったのですが、それが幕府の財政難のためか、江戸の太平の世にもはや天守閣は必要とされなかったのかは、よく分かりませんが当時の石垣から城内や京都の景色を見渡すことが出来ます。
230年間忘れられた存在に?
現在の二条城は、1624年に3代将軍徳川家光によって拡張・整備が着手され、その2年後に現在の規模になりました。
その拡張・整備の目的は、後水尾天皇の行幸を迎えるためです。
行幸とは天皇の外出のことですが、当時の将軍は時の天皇を二条城に招き入れるために2年も前から準備をしていたのですから、天皇の行幸は当時では一大イベントだったのですね。
1634年(寛永11年)に家光が大軍を率いて入城して以来、二条城は歴史の表舞台から姿を消すことになります。
その後、二条城は地震や暴風雨でかなり寂びれてしまい、落雷、火災などによって天守閣や本丸御殿を焼失することになり、失った建物が再建されることもなかったので、先般も述べましたが幕府の財政難が原因で再建されなかったのか、それとも二条城の存在の意義がだいぶ失われていたのかも?しれませんね。
再び歴史の表舞台へ
二条城が再び歴史の表舞台へ出たのが、1863年14代将軍徳川家茂が入城した頃からになります。
家光が入城して以来、約230年もの間、将軍が誰一人とも二条城に訪れなかったのが驚きです。
そもそも二条城は京都御所の護衛という名目はありますが、朝廷の監視や牽制をするのが本来の目的であったという事もありますので、江戸幕府が安泰の間は将軍が京都に訪れる理由もなかったのかもしれませんね。
当時の幕府は諸外国の要求に対して弱腰になっており、それを見た多くの人が日本の将来を不安視するようになり、幕府を倒して新しい政権を作るべきだという意見が方々で盛んに出ていたころでした。
そして15代将軍徳川慶喜は徳川方が賊軍、いわゆる天皇(朝廷)の敵になることを恐れて、1867年 二条城の二の丸御殿大広間に諸藩の重臣を集めて大政奉還を表明したのでした。
二条城が歴史の表舞台へ出てくるということは、つまり幕府と天皇(朝廷)との間に何か問題が起きた時と考えてしまうと、幕府にとって二条城はあまり使いたくないお城であったのかもしれませんので、そう考えると、二条城がいくら老朽化し焼失しようともほとんど改修や改築をしなかったのも頷けるような感じがします。
二つの御殿
二条城では、下記の2つの御殿が主だった見学箇所になります。
国宝・二の丸御殿
数々の装飾品には目を見張るものがあり、障壁画、襖絵、欄間彫刻、飾金具など一つ一つが優れた芸術品となっており、まさに国宝と呼ぶにふさわしい御殿となっております。
さすがは徳川将軍家の御殿といった豪華さですけど、これ程の御殿にほとんどの将軍が訪れていないというのは、何とももったいない感じがしますが、それだけ徳川将軍家の威光を訪れる者に対して見せつける必要があったのでしょうね。
二の丸御殿では大政奉還が表明された大広間 一の間・二の間も見学することが出来ます。
江戸城、名古屋城、大阪城の御殿はすべて失われており、日本国内では二条城のみでしか見れませんので、速足ではなく、ゆっくりじっくりと見学されることをお勧めします。
本丸御殿
本丸御殿は、豪華絢爛で煌びやかな二の丸御殿とは違って、人によって見方は様々ですが、飾り気がなく落ち着いた雰囲気を漂わせている御殿のように思えます。
本丸御殿は、3代将軍徳川家光によって1626年に後水尾天皇行幸を迎えるために築かれました。
二の丸御殿は徳川の威光を見せつける為に、ある意味見た目のインパクトが重要だったのかもしれませんが、本丸御殿は見る者に対してインパクトこそあまり与えませんが、天皇をはじめ宮家の方々がゆっくり滞在をして頂くための心遣いが感じられます。
現在の本丸御殿は、1894年に京都御所に建てた御殿を移築したものですが、実際に大正天皇が皇太子時代に滞在されたこともあるなど、当時の宮家の生活空間を知るための貴重な重要文化財に指定されています。
残念ながら、本丸御殿は現在保存修理工事中のため見学が出来ませんが、いずれは将軍家と宮家の それぞれの御殿を見比べてみてくださいね。
基本情報
名称:元離宮二条城
住所:京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
電話:075-841-0096 ファックス:075-802-6181
開城時間:8:45~16:00(閉城17:00)
休城日:12月29日~31日
入城料(二の丸御殿拝観料):一般1,300円 一般団体(30名以上)1,100円
中高生400円 小学生300円
URL:二条城 世界遺産・元離宮二条城 (kyoto.lg.jp)
まとめ
徳川将軍家の繁栄を物語る趣向を凝らした2つの御殿に調度品の数々、再建されることのなかった天守閣に大政奉還の舞台になった大広間など、二条城は、徳川将軍家の繁栄から衰退までの歴史が網羅されていると感じませんでしたか?
それを皆様に感じていただくためにも、是非とも二条城に一度、足をお運びくださいませ♪
コメント